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チームスポーツの経験はあると良いのかもしれないと、オリンピックを観て思いました

北京オリンピックが開催されています。 話題のジャンプ団体も、ちょうどリアルタイムで応援していました。

昨日、高梨選手が、Instagramに投稿をしたというニュースが出ていました。

わたしにとって驚きだったのは、下記のコメント(一部抜粋)です。

私の失格のせいで皆んなの人生を変えてしまったことは変わりようのない事実です。謝ってもメダルは返ってくることはなく責任が取れるとも思っておりませんが今後の私の競技に関しては考える必要があります。

もし今回のような失格ではなく、失敗ジャンプでスコアが低く出たということであれば、ここまでのコメントにはならなかったのでしょうか。 

考えてみれば、わたしはチームスポーツしかしたことがありません。野球をやっていますと、「自分のエラーで負けた」と感じることもありますし、「自分がチャンスで打っていれば勝てたのに」と責任を感じることもあります。 ピッチャーが打たれて負けることもありますし、誰かのサヨナラエラーで試合が終わることもあります。 (もちろん、わたしの場合は国を代表するような舞台ではありませんので、その責任の重さはオリンピック選手と比べることは出来ません。それでも泣いたりするわけです。)

確かにその当事者になれば、自分の責任だと感じてしまうこともあるでしょう。ただチームメイトは「あのプレーが勝敗をわけた」とは思っても、「あいつのせいで負けた」とは思いません。 最後は、彼のエラーでサヨナラ負けしたかもしれませんが、チームメイトは「その前にもっと点をとっておけば良かった」「サヨナラ負けのピンチを作るのを防げれば良かった」「エラーする前に一声かけてリラックスさせてあげられれば良かった」と考えます。 それがチームというものです。 

逆に勝った時はどうでしょう? 決勝ホームランを打った人、完封したピッチャー、ファインプレイをした野手。「自分の活躍がなかったら勝てなかった」と本気で思っている人がいるのでしょうか?  完全試合をして、自らホームランを打って勝ったとしても、守った野手がいたわけです。 「今日は活躍したなー」と思うことはあっても、「俺のおかげだろ」とは思わないと思います。 

オリンピックレベルの話と、学生野球レベルの話を同じように語れない前提で言いますが、個人競技をやっている方は、チームで何かに取り組んだとき、何か自分がミスしたら、その責任を全部自分でかぶってしまう傾向があるのでしょうか?  そして、もしかしたら、誰かが失敗したら、その人を責めてしまう傾向があるのでしょうか?  もしそうだとしたら、チームスポーツ(チームで取り組むなにか)も経験して欲しいなと思います。そしてその経験が、自分の失敗や他人の失敗に対する寛容さに繋がると良いのかなと思います。 

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