不滅の法灯 まさかのオペレーション
比叡山延暦寺には一度だけ行ったことがあります。
一番記憶に残っているのは、タクシーの運転が荒く、山道で生きた心地がしなかったことです。
そんな延暦寺の「不滅の法灯」がテレビで取り上げられていました。
いまから1,200年以上前になる、西暦788年に最澄が灯明をかかげて以来、一度も消えることなく輝き続けているそうです。本当に消えていないなら凄いことですね。
気を抜いて油を断つと、その火が途絶えてしまうことから、「油断大敵」という言葉の語源になったとか。
わたしが驚いたのは、その法灯に油を注ぎ足す専任がいないということ。
普通に考えると、毎日の係が決まっていて、その人が休んだ時のためにバックアップの人も決め、なんなら年間予定まで決めておきたくなるようなものですが、「不滅の法灯」はそうではありません。
ではどうするのか? なんと、気がついた人が油を注ぎ足すそうです。こんな大事なことを、この運用というのは驚きです。
たぶん、毎日いろんな人が重複してチェックするので、非常に非効率なことになっているような気もしますが、それくらい各自の意識と行動に基づいて、この1,200年以上の伝統が続いているわけです。
こういうのは自主性というのでしょうか。オーナーシップという方が近いのでしょうか。意外と、後輩僧侶がイヤイヤやらされているような気もしますが。
仕事においても、ルールを極力排して、共通の価値観と自主性で日々の仕事が出来れば、1,200年とは言わずとも、長く輝き続ける会社が出来るのではないかなと思います。