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高校野球を観ながら、負け試合の負け方を考える

夏の高校野球全国大会、今日は準決勝です。

熱闘甲子園を観なくなって久しいですが、甲子園に出られなかった学校や関係者まで含めて、全ての人が主役のストーリーがあるなと思います。

今日の準決勝は、個人的には聖光学院を応援していたのですが、ちょっとした展開のイタズラもあり大差がついてしまいました。

野球をやっていると「今日は勝てるな」と感じたり「今日は負けるな」と覚悟をする瞬間がありますね。

実力差があるケースでは、相手チームの前試合のスコア、ユニフォームの着こなしの感じ、アップの仕方、キャッチボール、一番バッター、投球練習の最後、相手キャッチャーによるセカンド送球などで「今日はヤバいな」と感じますし、イニングが進めば、点差がついていたり、点差は少ないけどと流れが悪いなど、いくつかのパターンでそれを感じます。

全国大会に出てくるようなチームは、相手のキャッチボールで「負けるかも」とは思わないでしょうが、強豪校のシートノックは相手に圧力をあけるデモンストレーションの一つですので、あながち無いとは言えないかもしれませんね。

さて、今日の準決勝一試合目ですが、三回を終えて13-1と大差がついてしまいました。この時点では、試合を諦めた選手はいないでしょうが「負けるかも」と思った選手はいた到達思います。そして、六回を終わって15-4だったときには、監督さん含めて、多くの選手が覚悟したのかなと想像します。

「あきらめたらそこで試合終了ですよ…?」というスラムダンクの名言がありますが、負け試合で心を折らずにいるのは簡単ではありません。いくら「諦めない」と思っても、心の中から「やばい、無理かも」という感情が出てきます。最終回の負けているチームのベンチで、涙を流していた選手たちは「諦めてはいないけど、負けを悟った」という状態なのかもしれません。

ビジネスにおいても「目標に到達しないかも」という瞬間があります。「最後まで諦めません」とファイティングポーズをとり続けつつも、現実的にどうなるかという見込みをたてることも必要ではあります。言わば、負けを認めざるを得ない瞬間です。

とはいえ、簡単に負けを認めて、諦めてばかりでは困ります。負けを認めたり、諦めたりすることは癖になります。そういうカルチャーが出来上がってしまうと取り返しがつきません。

じゃあどうするか? わたしのnote.の特徴は、そこに答えがないことです。所詮日記ですので、ご容赦ください。

ただ、わたしはこう思います。どんな状況でも、諦めない姿勢は、チームメイトへの礼儀であり、「チームという場」を壊さない行為であると。心の中で「無理だ」と思っても口にはするなよと。負けたと悟っても、態度に出すなよと。

聖光学院の選手の皆さん、最後まで立派でした。

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