
エチケットとルールとマナー
飛行機のなかで、観たい映画も無かったので「ほぼ日の學校」を観ました。 飯間浩明さんという、国語辞典編纂者の方でした。
辞書の編纂をしている、いわば日本語のプロが、「敬語」の話をしていました。
まず、「敬語に限らず」ひろくエチケットとルールとマナーについて。
マナーは自分で変えてはいけない。
見えないマナーというものは存在しないだろう。マナーは見えるもので、自分で変えてはいけないものだそう。
エチケットは誰かが決めた決まりというより、「こういうふうにすると印象が良いだろう」と自分で考えるもの。だから見えないエチケットはある。
ルールはみんなで話し合って決めるもの。見えないルールはない。
月曜日は燃えるゴミというのはルール。袋の縛り方をちゃんとするというのはエチケット。
では、敬語はどうなのか?
飯間さんが若い時、正しい文法で敬語を使っていたつもりだったが「お前気持ち悪いな」といわれたそうです。
ご本人いわく、マナー、ルールは意識していたつもりだったが、エチケットは抜け落ちていたと。そして、敬語はルールやマナーではないと気がついたというお話でした。
また、印象的だったのは「言葉は、みんなが使っている言葉が正しい。」というもの。
最近、若者の間で使われる言葉があります。年配の方からすると「日本語が乱れている」という嘆きもあるかもしれませんが、若者言葉に限らず「日本人のほとんどが間違えている日本語」というのは理屈上成り立たないと。みんなが使っている言葉が正しいのだということでした。
国語辞典を編纂しているような、日本語のプロ中のプロだからこその重みだなと感じました。
「それは本来の○○ではない」と何かを批判して、自分の考えを主張する人は、どの世界にもいますが、突き詰めた人は許容範囲が広いなとも感じた瞬間でした。