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監督の選手批判について思うことがあります 他責にみえる自責について

試合に負けたとき、監督が特定の選手に言及することがありますね。 わたしが思い出すのは、野村監督です。最近では原監督の言動が叩かれていますね。

そんな報道をみるたびに思い出すことがあります。それはわたしが大学生時代、母校のバレーボール部でコーチをしていた時の顧問の先生です。

その先生は、試合や練習のあと、コーチであるわたしに、生徒個人名をあげて、「ダメなところ」「できていないところ」を延々と話をされていました。 本人の前でそういう発言は一切しませんでしたが、ときには個人攻撃と感じることもありました。

責任をとるのは、監督やコーチの役目であり、生徒のせいにするのは違うだろうと感じていたわたしは、顧問の先生の話に違和感を感じていました。

しかし、ある日気が付きました。「この先生は、生徒を批判しているようで、育てられていない自分(顧問の先生)自身を批判しているんだ」と。 

「あんなところで、ミスしているようじゃどうしようもない」 「言われたことができていない」 「あいつは全然成長していない」 といったコメントは、選手を批判しているようで、選手と一体化した自分に対するコメントだったのです。

選手をかばったり、フォローしているうちは、まだまだ甘いなと感じた気づきでした。 

その定年間近で経験豊富な顧問の先生は、最後の試合が終わったあと、「勝たせてやれなくて申し訳なかったな」とわたしの前で涙を見せました。

気持ちが選手と一体化すればするほど、自分事になればなるほど、選手と監督という対立構造ではなく、自己批判が選手批判となって表面化することはあるのかなと思います。

もちろん、それをマスコミの前でやるか? というのはわたしには経験がないことなのでわかりませんし、原監督がどういう気持ちで話をしているのはわかりませんが、、 

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