愛校心の正体はなんでしょう? なぜ駅伝で、愛していない母校を応援するのか?
わたしの母校である中央大学が、今年の箱根駅伝で多くの見せ場を作ってくれました。 久々の活躍だったこともあり、テレビとTVerとYahoo! Newsにくぎ付けでした。家が戸塚中継所に近いのと、初詣が3日の増上寺という偶然もあり、久々にランナーを身近で観ました。そんなお正月でした。
ほとんど大学にも行かず、偶然現役で受かったから入った大学です。卒業してから27年、キャンパスに行ったこともないです。それでも箱根駅伝は母校を応援しました。
この気持ちは、どういう種類の気持ちでしょうか? 愛校心でしょうか? あまり思い出もないのに愛校心? なんかしっくりきません。。箱根駅伝は目立つ行事だからでしょうか? 中央大学は、去年も出場してましたが、今年ほど応援しませんでした。。。
今年は前評判が高かったから応援したくなった? 1区が区間新記録だったから急に応援したくなった? 確かにそういう要素はあるかもしれませんが、そう言われると、勝ちそうなものは応援するし、勝てないものは応援しないという、性格が悪い人のようですね。。。
オリンピックを観ていると、普段あまり注目しないスポーツでも、日本選手を応援してしまいます。子どもの頃を思い出すと、バレーボールなど、ニッポン チャチャチャと夢中で観ていたものです。これは愛国心でしょうか?
人は、そもそも誰かを応援したい生きものなのではないでしょうか。負けそうな人を応援する人を応援する人もいれば、勝っている人を応援する人もいるでしょう。応援する対象は何でもいいのかもしれません。応援する対象が現れたときに応援するのではないでしょうか?
では応援したい対象とは? わたしは、圧倒的な強者を応援することもあれば、チャレンジャーを応援することもあります。国と国の戦いでれば日本を応援します。フェアプレーをしないチームは日本チームであっても好きではありません。この辺の感覚はうまく言語化できませんが、わたしが好きなのは、ぎりぎり勝ちそうな日本チームを応援することかもしれません。
漠然と応援していただける会社って、どんな会社なのかなと考えています。良い成績を残す可能性があって、真摯にフェアプレーで頑張って、ギリギリ勝つ、そんな会社でしょうか。わたしだったら、まだ人知れず頑張っている「そういう会社」を応援すると思います。
まったくもって結論のない話ですみません。