わたしは今、日本の代表という立場であることもあり、直属の上司が日本にいません。
しかしながら、取締役会のメンバーは日本にもいますので、経営のガバナンスという観点では、近くで見てくれています。
人間の感情は難しいもので、全く見られていないと思うと、何か物足りなく感じ、がっつり見られていると思うと、どこか窮屈に感じるものです。
しかしながら、良いことも悪いことも、そして直接的にも間接的にも、遠くで仕事している上司はわたしを見ているでしょう。時には直接の会話を通じて、時には数字の実績を通じて、時には周囲の評判を通じて見てくれています。
仮に上司の目が行き届かなかったとしても、
同僚がわたしを見ているでしょう。そして、後輩がわたしを見ているでしょう。
仮に誰がわたしを見ていたとしても、仮に誰も見ていなかったとしても、言動を変えないことが大切なのだと思っています。
何故なら、自分自身は常にわたしを見ているからです。日本には「お天道様がみている」という言葉もありますね。
自分やお天道様をごまかすことは出来ませんので、「自分に見られても良い自分」でいなくてはいけませんね。
唯一願うことは、わたしを見ているもう一人のわたしが、そこそこ自分に甘い人格であることです。厳しすぎる自分と対峙するのは大変です。どうせ自分から逃げることは出来ないのですから、甘めな自分のほうがちょうど良いなと思います。
皆さんを見ている「もう一人の自分」は皆さんに甘いでしょうか?