負けを認めよう。そして周りを見てみよう。
東大前で高校生が受験生らを切りつけたという事件がありました。怪我をした高校生が快方に向かっているそうです。精神的には、まだまだ時間がかかるでしょうが、早く心身ともに完治して欲しいです。
加害者にとっては、初めての挫折だったのでしょうか。挫折しないで大人になると、挫折した時にその反動が大きいのでしょうか。一方、子供の頃から負けるのに慣れ、成功体験や優越感のようなものを経験しないとどうなるのでしょうか?
努力して成功した人が初めての失敗や敗北で感じるものが挫折だとしたら、わたしは、あまり挫折らしきものをしたことがありません。
子供の頃は努力もせずに、そこそこ勉強が出来ましたが、そこそこですし、努力もしなかったので、誰かに負けても挫折感や敗北感を感じることはありませんでした。高校受験では、日比谷高校に入れるかなと思いましたが、過去問をやる限り点数が足りず「やっぱり塾に通ってないと無理かー」とあっさり諦めたことを覚えています。
野球も、小学生の時から上手いやつがチームにいて、自分がプロ野球選手になれないことは早いうちからわかっていました。
仕事についてもそうです。常に自分よりできる人が周囲にいましたので、挫折を味わうことはありませんでした。かといって、そこそこ評価いただくこともありました。
考えてみますとわたしの場合は、「早々に負けを認め、少しでも勝てそうなところで戦う」ということを繰り返してきたような気もします。
それが顕著に出たのが、大学受験でした。
1.高校に入り、理科系が苦手になったので文系へ。
2.文系の中でも、人の名前が覚えられなかったので、世界史と日本史を諦め、英語・国語、数学の三教科へ。
3.数学は強い人は、ケタ違いに強いので諦め、英語と小論文だけで受けられる学校へ。
このように、苦手なことから逃げ続けた受験生活でした。結果現役で大学に入れたので、ラッキーでした。
一つだけ後悔しているのは、英語を高校生時代に諦めてしまったことです。帰国子女を受け入れている高校でしたので、周囲には英語がペラペラの人がたくさんいました。 「これはダメだ。自動翻訳機が出来るのを待とう」と思ったのを覚えています。あれから30年。自動翻訳機のビジネスユースにはもうちょっと時間がかかりそうです。。。 勉強しておけば良かったです。。
話はそれてしまいましたが、「逃げることのススメ」をしたいのではありません。逃げずに頑張らないといけないことはたくさんあります。わたしも逃げてばかりではありません。何も成功体験がないのは、挫折が無い以上に怖いです。たくさん成功体験を積んで、達成感と有能感を味わえると良いです。失敗や挫折なんて、しないで済むならしないほうがいいんですから。
ただ何かがあったときに「素直に負けを認める」そして、キョロキョロ周りを見てみることで、今まで見えなかった道が見え、必要以上に追い込まれることは無くなるのではないかと思います。