給料の決まり方について考えること
労働への対価というのは、どうやって決まるのかをよく考えます。もう少し言いますと、どのように考えれば「わたしにとって納得感があるか」とよく考えます。
同じ会社内での話や、IT業界の中の話ではありません。例えば、プロ野球選手、農家さん、大工さん、トラックドライバーさん、医療従事者の皆さん、保育園の先生、警察官や消防士さん、自衛隊の皆さん、役所の職員さんなどの話です。
ニュースなどで、とある職種の働き手が減っていて、その理由の一つが「ハードワークの割に給料が安い」からという話を見聞きすることはあると思います。世の中から無くなっては困る仕事なのだから、もっと給与が高くても良いのに、と感じることが多々あるのです。
わたしの中では、こう考えると納得感が出てきます。「給料の額は、その人が生み出す価値の対価ではなく、機械やコンピュータに代替出来るか、人間でないと出来ないか、人々がそれを重要しているか、その仕事がその人にしか出来ないことかどうか、別の人でも出来るかの掛け算である」
そして最後に、その業界の常識・前例、その給料は何で賄われているかという補正がかかって最終的に決まるのではないかと。(この要素が大きいのかもしれませんね)
二人の異なる仕事をしている人がいたとして、給料の高い方の人がやっている仕事は、給料の低い人の仕事よりも価値があるとは限らないと考えたいです。
その象徴的な対比が、総理大臣や大統領と、一流プロスポーツ選手の比較です。
大前提として、他人と給料を比較して、どうこう言うのは意味がなく下品なことだと思いつつ、朝からこんなことを考えました。