消去法のキャリア構築もアリだと思います
本日開催された全日本大学駅伝で、母校の中央大学が8位に入り、10年ぶりのシード権を獲得しました。おめでとうございます!!
母校とは言っても、日本史も世界史も名前が覚えられなかったわたしは、「現役で受かるにはこれしかない」と一発逆転を狙う為に英語と小論文だけで受けられる大学として選んだのが中央大学経済学部でした。他には慶應大学の総合政策学部と環境情報学部があったのですが、そこは落ちました。 そしてせっかく現役で受かったのだからという理由で入学しました。
「大学は高校よりも楽だ」という誰かの言葉を鵜呑みにしたわたしは、「ということは、授業に出なくても良いんだな」と思ってダラダラとした日々を過ごしていました。自宅から八王子の大学までは2時間かかるということもあり、あまり大学には行かなかった結果、4年生の時にも40単位も取らなくてはいけなくて、最後まで卒業できるか本当にわからなくてドキドキしました。
そんな残念な大学生活を送っていたわたしですが、母校の活躍は嬉しいものです。来年の箱根駅伝も、予選会を通過して出場が決まりました。お正月も応援したいと思います。
駅伝をきっかけに、大学時代を思い返してみると、一生懸命取り組んだのは、母校のバレーボール部のコーチくらい。それもバレー部で現役で大学に入ったのがわたしだけだったからという消去法。
大学に入ったのも消去法。考えてみたら、高校を選んだのも「日比谷は受からないリスクが高いから」という消去法。
就職に関しても消去法でした。大学でサークルに入っていなかったわたしは、就職に関する情報を持っていませんでした。完全に出遅れたわたしは、4年生の初夏になって「いまから就職活動して間に合う会社はどこか?」と友達に聞いたところ、「大手の電機とかは就職協定守ってるから間に合うんじゃん?」というアドバイスを得て、急いで資料請求をしました。結局、資料が届く前に一次面接を受けることになったわけですが、運良くNECに入ることができたという流れでした。
そんな「消去法で選ぶキャリア」は、社会人になってからも続いています。「あれがやりたい、これがやりたい」というよりは、「あれはいやだ、これはいやだ」という選択が多いです。そういうと単なるわがままな人と思われるかもしれませんが、わたしが「いや」なのは、正しくないこと、価値のないこと、不義理なこと、世の中のためにならないこと、自分が貢献できないこと、やっててつまらないことです。(最後はわがままっぽいですね、、)
そして、何歳になっても消去法が使える状態になっていたいとは考えてきました。不本意なことを「イヤイヤしなくてはいけない」という状態だけは避けたいと思っています。
そんな主体性がないようなわたしの人生ですが、おかげさまでとても楽しくやっています。わたしは自分の実力に対する自信は全くありませんが、わたしが選ぶ選択には絶対の自信を持っています。細かい日々の選択は、迷いも間違いも多いかもしれませんが、会社選びや仕事選び、人生の選択などの大きな選択は「わたしにとっては」すべて正解だったと考えています。
周りの人に恵まれていると、最高の選択肢に恵まれるんだろうなと思う日々です。