それは、駅に入ってくる電車の警笛みたいなもので
やっている本人は全く悪気がなく、むしろ良かれと思ってやっているにも関わらず、相手や周囲が不快に感じてしまうことがあるなと思います。
わたしがいつも、イラッとしてしまうのは、駅に入ってくる電車が鳴らす警笛です。 恐らく安全のための警笛ですから、イラッとするのは筋違いなのですが、音が大きいからでしょうか、、「意味もなく憂さ晴らしをしている」ように感じてしまうことがあるのです。
道を歩いていて、軽くクラクションを鳴らされたときには、「あ、すみません」と素直に思えるのに、何でしょうね。
そういえば、以前ハイブリッドの車に乗っていたとき、「かわいい音のクラクションを標準装備にしたほうがいい」とディーラーさんに提案したことを思い出しました。 良かれと思って、軽く鳴らそうと思ったクラクションが、想定外に大きな音で鳴ってしまった経験からの提案でした。 電車にしても、車にしても、本当に危ないときの緊急性を要するクラクションと、ご機嫌を伺うような緩いクラクションがあるとコミュニケーションはスムーズにいくのでしょう。
日常生活のコミュニケーションでも、同様の話はあるなと感じます。電車の警笛のように、いきなり大声を発する人はいませんが、発している音の意図が正しく伝わらないことはあります。 恐らくそれは、発信元からの説明が不足しているという要素と、受け手が相手の意図を理解出来ないまま反射的に反応をしているという要素の2つがあると思っています。
つづく。。