何歳になっても暴飲暴食するために摂生しています
為末大さんが書いたnote.を読みました。
(たぶん)一度だけの人生です。 自分と自分にとって大切な人のために、好きに・自由に生きるのが良いとわたしは思っていますし、おかげさまでわたしは好きに・自由に生きています。
好きに・自由に生きる状態を作り出し、維持するためには多少の我慢も必要でしょう。逆に言うと、多少の我慢は、好きに・自由に生きるためにするという言い方かもしれません。
わたしは何歳になっても暴飲暴食をしたいと思っています。食べることを我慢したくありません。ラーメンは大盛りか替え玉。焼き肉もカルビ。カレーライス 400g、そば、パスタ、ピザ、、、 何歳になっても好きなものを食べていたいです。
でもそのためには摂生が必要です。 不健康になってしまっては、大好きな暴飲暴食が出来ません。 摂生と暴飲暴食のバランスはどうでしょうか? 摂生7割、暴飲暴食3割くらいでしょうか。 8:2くらいの比率かもしれません。
「我慢する時間」と「好きに・自由に生きる時間」の比率はどんなものでしょうね? いくら好きに・自由に生きているわたしでも、9:1くらいでしょうかね。
ここでいう「我慢する時間」から「努力している時間」を差し引けば、「する必要のない我慢をしている時間」が残るかもしれませんね。
まあ、時間で比べる意味はないかもしれませんし、食べたいラーメンを我慢しているのは摂生のための努力なのか、我慢なのかわかりませんが、暴飲暴食をするために摂生するという話でした。