「実現可能な計画は予定」だと土光敏夫さんは述べています
一年の計は元旦にありといいますが、その前後の言葉もあるようですね。諸説あってどれが正しいのかわからなかったので、ここではご紹介しませんが、興味がある人は検索してみてください。わたしは「米百俵」の精神について調べているうちに面白くなって長岡市のホームページにたどり着いてしまいました。
さて「一年の計は元旦にあり」に戻りましょう。
その「計画」ですが、土光さんはこんなことを言われているそうです。
土光敏夫
1896年生
1950年 現 石川島播磨重工業 社長就任
1965年 現 東芝 社長就任
1974年 経団連第4代会長 就任
1988年 没
こんな言葉もあります。”Most people overestimate what they can do in a year and they underestimate what they can do in two or three decades. “
土光敏夫さんは、計画とは「将来への意思」である。将来への意思は、現在から飛躍し、無理があり、実現不可能にみえるものでなくてはならない。現在の延長線上にあり、合理的であり、実現可能な計画は、むしろ「予定」と呼ぶべきだろうと言いました。一方で、”Most people overestimate what they can do in a year”という言葉もあります。
これらは一見矛盾しているように見えるかもしれません。2020年のM1で、オール巨人と松本人志がオズワルドへコメントした内容くらい、矛盾しているようにみえるかもしれません。しかし丁寧に解釈すれは、いずれも矛盾はしていません。
一年の計は元旦にあり、わたしなりに解釈しました。
将来への意思としての計画は、visionです。visionを達成するには、困難を受け入れ、困難に挑み、困難に打ち勝つモチーフ、すなわちbelief、purposeを、自らのうちに持たなければいけません。
そのvisionを達成する過程に今年があります。visionを達成する過程をブレークダウンし、一年の計画にまで落とし込んだとき、計画が予定に変わります。
“Most people overestimate what they can do in a year” で、本当に言いたかったことは、こっちの方”they underestimate what they can do in two or three decades. “ なのだろうと思います。
“Most people overestimate what they can do in a year and they underestimate what they can do in two or three decades. “は、一年の計画は大きなものを作るのに、おまえたちが作る20年の計画は小さすぎる。計画とは「将来への意思」であり、将来への意思は、現在から飛躍し、無理があり、実現不可能にみえるものでなくてはならないんだ。と言いたかったのではないでしょうか。
あくまでもわたしなりの解釈です。
もともと「今年はお餅を食べすぎないようにします」という計画を立てようとしていたのですが、ちょっと考え直します。時間をください。