ナンバーワンにならなくてもいいけど、目指したほうがいい?
花屋の店先に並んだいろんな花の写真を、Adobe Stockで買って、この記事の画像にしました。
わたしは昔から、負けず嫌いではなかったような気がします。
一番覚えているのは、小学生高学年になったときの野球です。「こんなやつがいるなら、勝負にならないな」と思いました。
当時はインターネットが無かったので、身の回りだけをみて、そう感じましたが、今であれば、SNSなどを通じて、もっと早く自分の能力を相対的に感じたことでしょう。
次は高校時代の英語です。クラスの半分多くが帰国子女というちょっと変わった環境で、「英語はこういう人たちには勝てないな、自動翻訳の技術待ちだ」と思ったこと。
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高校時代の世界史、日本史、数学もそうです。カタカナの名前が覚えられない、漢字の名前が覚えられない、数学は超ずば抜けた人がいて、その人とは頭の構造が違うなどと言いながら、(受験における)一発逆転を狙っていました。
「自分には出来ない」「自分には苦手」と思ったら、すぐに諦めて次に行くことができるのは、粘り強くないという弱みでありつつ、いつまでも固執しないという強みであると自分を慰めています。
「自分は負けず嫌いではない」と言いながら、自分が相対的にみて、少しは戦える領域を探し続けてきた気がします。言い換えれば、負けるのが嫌いだから、勝てそうな場所を探しているのかもしれません。
これも一つの負けず嫌いの形でしょうかね。
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さて、今日は最近読んだ本からの話です。
わたしは芸人さんが書いた本が好きです。
それは、「笑いを作る仕事」は究極の仕事だと思っているからです。
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今回読んだのは、『敗北からの芸人論』という、平成ノブシコブシ 徳井さんの本です。
その本の中に、こんな一節が出てきます。
これは、極楽とんぼ 加藤さんの言葉だそうです。前後の文脈は、是非この本を読んで欲しいのですが、良い言葉だなと思いました。
わたしは、陸上を始めた人の多くは、100m走で一番になりたかったのではないかなと想像しています。水泳を始めた人なら自由形。サッカーならエースストライカー、野球ならピッチャー。もしくはスーパースターと同じポジションのナンバーワンを目指したのではないでしょうか?
そういったところからスタートして、成功も挫折も経験して、自分のポジションを確立し、オンリーワンになっていったのでしょう。
長くなりましたので、今日はこの辺で。
「ナンバーワンを目指したことない奴が、オンリーワンになれるわけないだろ」
いい言葉だなと思いました。