制約があったほうがやりやすいのは、問題解決型思考の限界?
ハロー張りネズミを読んでいましたら、東洲斎写楽の話が出てきました。
知らなかったのですが、写楽は、僅か10ヶ月の活動のみで、姿を消してしまったとか。こんなに著名な人なのに驚きです。
どうやらわたしは、こういう話が好きなようです。松下村塾が、吉田松蔭が教えていた期間はわずか2年半だとか、奈良時代は84年しかなかったとか、伊能忠敬は50歳過ぎてから日本を回ったとか。
そして、歴代の総理大臣たちも、そこまで長くない在籍期間に何かしら大きな仕事をしているということにちょっとした美学を感じたりもします。
もちろん、この道一筋50年という職人さんにも美学を感じますが、どこかで自分には無理だと思ってしまっているのかもしれませんね。
日本人は「制約」があるなかで、文化を発展させてきたと誰かが言っているのを見聞きしたことがあるような気がします。俳句や短歌、盆栽もそうかもしれません。他には、、あと2、3個くらいは例をあげないと説得力が出ないですが、しょうがないです。思いつきません。 もしかしたら、シンプルに、細かい作業が得意で、小型化に優れていたということなのかもしれませんね。
わたし個人はどうかというと、「制約」があったほうが動きやすい「問題解決型の人間」だなと思います。その反対語は何かは知りませんが、白い真っ白で大きなキャンパスに「なんでも自由に描いていいよ」と言われると頭を抱えてしまうような気がします。
そのかわり、この問題をなんとかしなさいと言われると、頑張ろうと思いますし、制約事項が多い方が何とかしたくなるかもしれません。
趣味の盆栽もアガベも、小さく小さく育てるのが醍醐味です。フライフィッシングにしてもそうです。素直にエサを使えば釣れるでしょうに、、、
とは言え、わたしの今の役割は、与えられた課題に取り組むだけでなく、正しい問いをたて、課題を創り出していくことも重要です。そしてそれが出来るのが、いまのCoupaです。Coupa、採用中です。